瀕死の番茶刈り

番茶刈りもあと1日で終わりです。
機械で刈り取っているので1日刈ると1t以上収穫できます。

機械刈りの茶の収穫量の多さを思うたび、幕末にお茶の貿易商として活躍した
お慶さんという女性の話を思い出します。
日本茶の輸出が始まった当時、相手国であるイギリス人の間ですでに必需品
になっていたお茶は中国から輸入したものでした。
アヘン戦争で惨敗後、次第に国内が混乱に至ったため茶の生産量が低下
していた中国に代って日本のお茶に目を向けられたのです。最初に
長崎に問い合わせがあり、貿易商のお慶さんが2年間に渡り九州各地を回って
集めたお茶は7トンほど。当時は皆手作業ですから生産量も今とは比べ物には
なりませんしまた貴重なものだったことがうかがえます。

お茶は世界をかけめぐる<高宇政光著 筑摩書房>の中には、番茶は、
アメリカ人バイヤーには認められなかったという記述がありました。
きちんと摘まれた形状の細いお茶でなければ受け入れられなかったようです。
明治期の煎茶増産政策の成果で各地の番茶は瀕死状態になっている
とのことです。
今日、各地に残る地域の番茶は、産業政策として政府から否定された、しかし本来の
日本茶の姿を残している、私達の貴重な共有財産だということも書かれてあり、
番茶にはまた番茶の良さがあるのだと、お茶を刈りながら思いました。

9/23~10/22まで静岡市清水区のフェルケール博物館で神奈川丸とお茶の輸出に
ポットを当てた特別展が開催されているそうです。
今年は清水港から直接海外へのお茶の輸出が始まって百年とのことで、お茶のまちづくり宣言《お茶直輸出100周年で記念事業を展開》がありましたので、番茶刈りが終わったら是非見に行こうと思っています。


当園頂上付近の番茶の様子です。

(AYA)
by mgarden2 | 2006-10-16 20:56 | | Comments(0)
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